インタビュー13インタビュー時年齢:76歳(2017年2月28日)

#01 父親が戦時中から飴(あめ)菓子の会社をやっていて、戦後の甘いもののない時代にも飴をいっぱいなめられた。それが原因で自分も妹も若くして総入れ歯になった

再生時間:02:18 アップロード日:2017年12月04日

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インタビュー

――そもそも、その、総入れ歯になった経緯っていうのをもうちょっとお話しいただけますか。

いや、だから終戦直後、おやじが製菓会社っていうか、飴(あめ)屋のでっち奉公からずーっと社長の紹介で所帯を持たされて、あのー、取引先の人と、人の娘と、紹介されて一緒になったぐらいで、飴屋だったんですよ。で、戦争中も軍需工場へ、そのー、ようかんとか飴とかを納品、軍へ納品するんで、兵隊はとらないでいいあんばいだったんだわな。ほら、軍関係の仕事をしてるってことで。あのー、飴菓子を作ってたから。で、陸軍と海軍に納品してたんだわな、あのー、そういう……飴玉しゃぶったんでしょう、兵隊さんもなあ、あれ。よく分かんないけど。
 そんなんで、終戦直後、ああいう砂糖なんかが配給で、ない時代でも、飴屋だから、飴はいっぱいなめられたんだよ。それでね、俺と俺のすぐ下の妹はね、もう若いころから入れ歯。下の2人はもう飴の時代じゃなくなったんだわな。あのー、ポテトチップの時代になってきたんだよ。だから歯はいい歯してるわな。下の2人は。俺は総領だからさ。

アルバイトでよくおやじのとこ手伝いに行ってたから、あのー、熱いうちに飴なめちゃってたから。こう、ちぎってさあ。あれは非常に歯に悪いよなあ、今思えば。水飴と砂糖を入れて煮るでしょ、釜で。で、それを鉄板、下にこう、水の管が通って、冷えてる鉄板んのとこへ空けるわけですよ。鍋ごとね。そんで香料入れたりハッカ入れたりして加工するわけ。こう、練って、ローラーにかけるわけ。こういうドロップにすんのにさあ。だから、その水飴と砂糖が煮えたやつをこう、一丁前にこう、やけどしないようにキュッてやってなめんの。それがおいしかったんだよねえ。

プロフィール

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インタビュー時年齢:76歳
(2017年2月28日)

首都圏在住。結婚した息子がひとり。父親が製菓会社を営んでおり軍需工場にも卸していたので、戦時中も終戦直後も甘味には不自由しなかった。子どもの頃からむし歯が多く、40代で総入れ歯になったが、歯医者以外には罹ったことがないほど身体は丈夫。定年退職後10年間介護車両の運転手として働いた経験から、機械に頼って生かされることについて思うところがあり、妻(インタビュー14)の介護では胃ろうをせずに、口から食べられるようにすることを頑張ってきた。