インタビュー09

インタビュー時年齢:54歳(2017年1月15日)

プロフィール

IT関係の会社の経営者として、関西地方に単身赴任していた2015年の11月、喉の痛みで受診したところ、風邪と診断され抗生物質を処方された。しかし、痛みが治まらず、耳鼻科を受診したところ、大きな病院を紹介され詳しい検査をしたところ、中咽頭がんと診断された。自宅は会社の本社がある東北地方にあるが、看護師である妻とも相談し、自身の出身地であり、成人した子どもが住んでいる首都圏の病院で治療を受けることを決める。

当初は抗がん剤と放射線療法だけで治療できるかと思ったが、検査の結果腫瘍がかなり大きくなっていることが判り、2016年の2月に手術をすることになった。CTの結果も踏まえ、下顎骨の切除が決まった。13時間に及ぶ手術を終え、その後5日間集中治療室に入った。集中治療室では時間が経つのが非常に遅く、いつまでここにいるのかと恐怖を感じた。体を動かすことができず、管もたくさんついていて、人間ではないような気分だった。

集中治療室を出た後は、まず「痰との格闘」だった。最初は看護師に痰を取ってもらっていたが、苦しいので自分でやらせてもらうことにした。「食べ物との闘い」にも苦労した。最初は鼻から胃にチューブを使って栄養剤を入れていたが、その後は口から食べる訓練を行った。最初は小さいゼリーを飲み込むのに30分もかかった。しかし、少しずつ嚥下の力も回復し、退院1週間前には普通食をなんとか食べられるようになった。

病巣が大きかったため手術で完全には取り切れていないだろうということで、退院後は放射線治療をすることになった。放射線を照射している時間は数分だったが、その間、頭が動かないようにマスクで固定されるため、強い恐怖を感じた。放射線治療の影響により、喉の痛みでものが飲み込めなくなった。また、だるさもひどく、口の感覚も失われてしまった。じっとしていると落ち着かなかったため、毎朝1時間散歩をするようにした。胃ろうを作ると後が大変だと思い、痛み止めを処方してもらってなんとか口から食べていたが、そのうち食べ物の味がしなくなり、粘土のように感じて体が食べ物を拒絶するようになった。放射線治療開始からしばらくは本当に辛かった。

しばらく手術をしていない左側ばかりで咀嚼していたため、炎症を起こして顎関節症になった。病院で相談しても治らなかったが、接骨院で鍼(はり)治療を受けたところ、徐々に症状が改善した。そのうち、麻痺していた右側の感覚も少しずつ回復し、歯をかみ合わせられるようになっていった。そうすると、それまで開けられなかったペットボトルのふたも開けられるようになったし、ジョギングもできるようになった。また、口も閉じていられるので、仕事にも集中して取り組めるようになった。歯はあらゆることに影響していると感じる。

顎の部分切除により、術後はうまく発話ができず、仕事でも筆談を交えながらやりとりしなければならなかった。口の中の傷口をふさぐ「ふた」を入れてから大分よくなったが、それでも上手くしゃべれないことは多い。しかし、話をしている相手は、一生懸命聞こうとしてくれるし、分からなければ聞き返してくれる。昔からやっていた芝居も再開したが、お客さんも気をつけて聞いてくれる。負け惜しみではなく、新しい自分になれたと思っている。

20歳からヘビースモーカーで、中咽頭がんもタバコが原因だと思っていたが、検査の結果、ウィルスが原因だった。しかし、きっとタバコは無関係ではないし、仕事上のストレスも関係していると思っている。以前と同じような生活をしていると、またがんになるかもしれないので、いまは適度に息抜きしながら仕事をするようにしている。自分の体験が、同じ病気の人たちに少しでも役立てばと思っている。