8020  No.13  2014-1

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■NGOリポート・歯科医師の国際貢献

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1.モンゴルとの交流の始ま

りとモンゴルの歯科事情

1991年の夏、日本モンゴル文化

経済交流協会(会長:佐藤紀子氏)
の呼びかけに応えた日本側歯科関係
者14名が、ウランバートルで歯科
検診と予防指導を行ったことが両国
の歯科医療交流の始まりでした。交
流の始まった1991年当時は、ウラ
ンバートルには信号もネオンもなく、
中心部でも馬に乗る人たちが行き
かっていました。しかし今では、火
力発電所の煤煙と深刻な渋滞による
車の排気ガスでの大気汚染は深刻で、
肺がんや子どもの喘息やアレルギー
が急増しています。

また、冬季にはマイナス40℃にも

なるという極寒の地モンゴルでは、
遊牧という厳しい労働に耐えるため
にも高脂肪・高塩分の肉や乳製品を
主食とする食生活が続けられてきま
した。しかし1990年の民主化以降、
暖房の効いたアパートに住み、近く
でも車で移動する都市生活者が急増
しており、食生活の欧米化や甘味飲
食料などの嗜好品の氾濫もあって、

健康破壊は急速に進んでいます。

歯科事情では、現在歯学部は国立

(定員60~70人)と私立(定員約

20人)の2校があり、歯科衛生士学
校(2010年創設、4年制、定員30
人)と歯科技工士学校が各1校あり
ます。現役の歯科医師数は約800人
ですが、1991年から自費診療での
私設開業が認められたため都市に集
中し、その結果国立病院や郡部で診
療する歯科医師数は激減し、全国21
県のなかで2, 3名しか歯科医師がい
ない県も増えています。

2.われわれの目指す

  活動コンセプト

当初から、「日本人がやる活動」で

はなく、「モンゴル人の健康はモン
ゴル人自身の手で」をコンセプトに、
モンゴル人歯科関係者による自立の
活動を目指しました。

初期は、年2回の歯科疾患実態調

査、保健予防活動、合同セミナーを
実施、またモンゴル人の短期来日
研修の受け入れも行ってきました。
1994年3月には、当時医科大学歯
学部の講師であったイチンホルロー
氏とともに、共同歯科診療所「エネ
レル」を首都ウランバートルに開設
しました。エネレルの運営は来日研
修者を中心としたモンゴル人自身に
任されており、モンゴルにおける歯
科医療と公衆衛生の先駆的基地とし
て自立を目指しています。

一方、国レベルの交流は、岡山大

学歯学部とモンゴル医科大学との間
で交流協定を1995年に結び、研究・

1990年に社会主義を放棄し民主化を進めているモンゴルでは、国民生活の急速な変化とともに、国民

の健康破壊が深刻になっています。第2次大戦後のような日本の轍は踏まないでほしいという思いから、

「モンゴル人の健康はモンゴル人自身の手で」をコンセプトに両国の歯科医療交流が始まりました。現在は、

幼稚園・小学校での学校歯科保健導入のための活動にも取り組んでいます。

NGOリポート

歯科医師の国際貢献

エネレル歯科診療所の15周年記念式典

(2009年9月)

くろだ・こうへい

日本モンゴル文化経済交流協会公衆歯科衛生班代表、神戸医療生協 生協な
でしこ歯科 小児・障がい者歯科部、小児歯科専門医。1980年大阪大学歯
学部卒業、1983年神戸医療生協協同歯科入職、小児歯科医長、以後、協同
歯科副所長、所長、神戸医療生協歯科部長を歴任。05年生協なでしこ歯科副
所長、11年同・所長、12年同・指導医。91年モンゴルとの国際歯科医療交
流開始。モンゴル「エネレル」歯科診療所理事・副所長、モンゴル国立健康
科学大学客員教授、モンゴル私立医科大学「ACH」客員教授

PROFILE

日本モンゴル文化経済交流協会
神戸医療生協 生協なでしこ歯科 

黒田耕平

24年間続いている

モンゴルとの歯科医療交流