インタビュー15

インタビュー時年齢:45歳(2017年3月12日)

プロフィール

2002年、父親は交通事故で病院の救急外来(ER)に運ばれ、一命をとりとめたものの、意識は一生戻ることはない、と言われた。自発呼吸はできるようになったが、意識が戻ることはなく、ほとんど目をつぶったままの植物状態となった。いったん別の病院に移り、そこで1年ほど過ごしたが、他へ移ることを求められた。いくつか病院や施設を見て回ったが、納得のいくところがなく、母が自宅に連れて帰ることを望んだので、在宅での介護に踏み切った。

父が事故に遭って間もなく仕事は辞めていたので、母と二人での24時間・365日の介護生活が始まった。訪問看護やヘルパー派遣も利用したが、思っていた以上に多くの医療行為を家族が担わざるを得ず、厳しい現実に直面することになった。手探りで勉強しながらケアをする中で、悩みの一つは歯磨きのことだった。歯を非常に強くかみ合わせている状態なので、歯の表側を磨いてあげることができても、歯の裏側や舌まできれいにすることができなかった。そのことを訪問看護師に相談したところ、保健所の歯科衛生士を紹介された。

歯科衛生士は訪ねてくると、大きな声で呼びかけながら父親の顔に触れ、指を口の中に入れるなど、ちょっと強引にも見えるようなやり方で触っていたが、次第に顔の緊張がほぐれ頬が緩んで口が開くようになった。歯科衛生士は何カ月かかけて歯の裏側についた歯石をはがしていったが、一番奥のほうの歯石を取ってもらったときには、以前に噛み込んでしまった歯ブラシの毛束が出てきて驚いた。

自分たちもやり方を教わって、毎日歯茎や頬の筋肉のマッサージをしていたら、次第に顔色もよくなって、目を開けている時間も長くなり、音に反応して目を動かしたりするようになった。口腔ケアだけが原因ではないかもしれないが、次第に眉根にしわを寄せたり、口を動かしたり、表情のようなものも見られるようになり、父のそうした反応を見ることは介護をする家族にとってはとても嬉しいことだった。

もともと食べることが好きだった人なので、お料理の写真を見せたり、調理している音を聞かせたりして、刺激を与えていたが、胃ろうを造設していたため口から食べることができないのがかわいそうになってきて、やめてしまった。だいぶあとになって舌の上にお汁粉をほんの少しだけ載せてみたら、口をもぐもぐもぐもぐ動かして、まるで味わっているような感じがした。誤嚥の心配があるので耳かきいっぱい程度だが、別の日にたまたま家族が食べていたカレーを舌の上に載せたときには、ちょっと難しそうな複雑な表情をしていたのが面白かった。本当にたわいもないことだったが、父の反応を見ながら家族やスタッフと笑ったりすることができたのが、嬉しかった。こうして約10年間、父が亡くなる10日前まで在宅で介護して看取った。

自分たちが経験してみて、口腔ケアは1日のリズムを作るうえで、大切な部分ではないかと思うようになった。朝起きたら父の歯を磨くところから、1日のスケジュールが始まって、また夜歯を磨いたら寝る、というサイクルが出来上がっていて、父も意識はないのかもしれないが、昼間はちゃんと目を開け、夜は目をつぶって寝ていた。自分たちには歯科衛生士さんに頻繁に来ていただける恵まれた環境があったが、今後は同じ状況に置かれた誰もが口腔ケアや口腔リハビリなどを受けられるようになったらいい、と思う。